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mamimpの研究帳

個人的にまとめたいものを記事にしています。

ニーチェが闇に呑まれた理由に気がついてしまった。涙があふれてしょうがないわ

実は「光」と「闇」の他にもう一つ、「悪」が存在する。

光とは左目の機能であり、信じる心、一点を貫き過去と未来を見通す力

闇とは右目の機能であり、曇りなき眼、今この瞬間を余すこと無く捉える力

 

3つには強弱関係が存在し、三すくみとなっている。

闇は光を見守る。

悪は闇を恐怖させる。

そして光は悪を貫くのだ。

 

一点を貫く光では悪の居所はわからない。

闇は悪の居所を知っている。

 

本来全体を見る能力に長けている右目(闇)だが、こと悪に関しては悪の瞳が変化し続けるがゆえに闇らしくもなく一点にとらわれてしまう。悪の正体とは「企む瞳」。こちらの瞳一点を凝視し、企みを企てる悪の瞳を闇は一点で捉えることが出来ない。

風景は固定されているが、瞳は変化し続けている。闇はその変化を怖ろしく思い、目をそらすことができなくなるのだ。今この瞬間に生きる闇は得体のしれない覗きこむ悪に恐怖する。

 

「企み」とは今ではない、企みとは歪んだ過去や未来を信じきった人間の企て。

一点を貫き過去と未来を真に知る左目(光)の力で悪を捉えることこそ、理だったんだ。

 

ニーチェは目を見開き全てを見つけたが

悪を認識した右目で悪に相対してしまった。左目で悪の心の遥か彼方を貫くことに思い至らなかったんだ。

だから悪の策略にはまり、まるで自分が化物かのように思ってしまい苦闘したんだ。

悪は右目で見つけ、そして左目で射殺(いころ)すべきだったのだ。

 

さらに付け加えるべきことは

悪の左目が光った時は、左目から発せる光の力が有効で

悪の右目が光った時は、右目から発せる闇の力が有効だということだ。

光と闇はともに悪を滅ぼす力を持っているのだ。

だが、有効に違いはあれど光と闇がともに悪を見据えなければ効果は薄い。

有効の度合いはわずかな偏差にすぎない。

両目で悪を見据えなければ倒せない。

全ての時間を総括する2つの力を最高に引き出して悪を2方向から見据える。

その時攻撃する一点は悪を企てる瞳

それが左か右かは悪の種類の誤差を読み取ればいい。

 

意外なことに、悪を感じ取った場所とは違う瞳こそが悪の弱点だと気づけるはずだ。

 

追記

だが、それにしても、困窮した人間の存在を認めることなく、ひたすら生の表層をなで、自身の生にしがみついている人間たちの中で戦ったところで何が残るというのだろうか。私を助けず信じない人間たちと共にあり続ける事がひどく虚しいことに思える。